さよなら淡い夢



 ジジ、と燻るような音を立てて黄色が固まってゆく。
 ロイはじわじわと色の変わる卵をじっと見詰めて、そして小さな子どもが癇癪を起こしたみたいに勢い良く中心にフォークを突き刺し掻き乱した。しばらく手を動かせば半熟のスクランブルエッグの完成である。火が通り切らない内に皿に移しベーコンを添える。二つの皿に盛り分けられた朝食に目を細めつつロイはリビングのテーブルにスクランブルエッグを並べる。バスケットに積まれたベーグルは彼が好きなパン屋の目玉商品だ。一緒にいた彼に気付かれないよう買ったドーナツは手土産に持たせてやろうと、まだキッチンの袋の中で眠っている。今日イーストを発つらしい彼がそれを手にして破顔する姿を想像しつつロイは静かに寝室のドア開けた。
 窓の側まで歩いてカーテンを引くと小鳥が飛び立つのが見える。開け放たれた窓からは僅かに水気を含んだ清々しい朝の香りがする。ゆっくりとした呼吸で大気を吸い込んでロイは振り返る。

「おはよう鋼の」

 返事はない。やれやれ、といった風に肩を竦めてロイはベッドの淵に座り込む。スプリングが軋む音が不快だったらしい彼――エドワードがむぅ、と唸る声が聞こえた。
 枕に手をついて覗き込んだエドワードはシーツに包まって丸まり、あどけない表情を見せている。普段の彼からは想像もつかない、つまりはそれだけ心を許しているという事であろう様子にロイは微笑を浮かべる。触れれば恐らくマメに手入れなどしていないだろう金糸が指の間を通り抜けて行く。微かに残る寝癖の跡すら愛おしい。
 ずっとこうしていたいのも山々だが生憎今日は通常勤務で残された時間は限られている。ゆっくりと頭を撫でていた手で耳元の髪を横に流し、そっと囁く。

「ほら、起きなさい。もう朝だよ」

 するとエドワードはうっすらと瞼を上げる。途端飛び込んできた朝日の光に思わず眉を顰め、それでも起きる意志だけはあるらしく緩慢な動きで手を付いて上体を起こした。ぱちぱちと瞠目する姿は彼が国家錬金術師であることを感じさせない幼さを含んでいる。

「おはよう鋼の」
「・・・・・・・・・はよ・・・・・」

 とは言ったものの意識はまだ覚醒に至っておらず、ゆらゆらとエドワードの頭は舟を漕ぎ始めている。途方に暮れたロイは彼を起こそうと伸ばした手を途中で止め、暫し沈黙して当初とは違う目標へとまた手を進めた。
 首筋に感じた冷たい指先にびくりとエドワードが肩を戦慄かせると共にロイは頭をぐっと近づける。そして額、こめかみ、頬と順を追ってバードキスを降らす。紙を挟んだその感触が妙にこそばゆくてエドワードはロイの肩口を掴んだ手に力を込める。

「ちょ、っ・・・ロ・・・ぃ・・・くすぐった・・ッ」
「だって君が起きないから」
「も、もう起きた!起きたから!!」

 必死になって腕を突っ張るエドワードにロイは名残惜しむように瞼へ軽い口付けを落とす。

「さて、朝食にしようか。早くしないと卵が冷めてしまう」
「あ、うん」
 立ち上がったロイがドアノブに手を掛けた瞬間、背後でばすっ、と布を叩いたような音がした。何気なく首だけで振り返ると、それはもう芸術的な姿勢でベッドを転がるエドワードがいた。

「・・・・・・・・・立てない」

 何とか体勢を立て直したエドワードがぼそりと呟いた言葉をロイが聞き逃す筈もない。

「あー・・・昨日は激しかったからねぇ」
「!?」
「覚えていないのか?君があんまり欲しがるものだから私も困ってしまって」
「わー!わー!!」
「いやああんなに積極的な鋼のは半世紀に一度見られれば良い方かな」
「(恥かしい奴恥かしい奴恥かしい奴)」

 にやにやと笑うロイを横目で睨みつつ、エドワードは顔に上ってしまった血を何とかしようと躍起になっていた。だからと言ってどうこう出来るものでもないのだが。

「しかしどうしたものかな。こっちで食べるかい?」

 思案する素振りで腕を組んだロイの視界の端でエドワードが動いた。反射的にそちらに目を向けると半身にシーツを纏ったままぺたんと座り込んで幼子のように手を伸ばすエドワードの姿。背けられた顔は耳まで真っ赤で、ロイも図らずとも赤面する事となった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・腹、減った」

 聞こえるか聞こえないかの境目で呟かれた言葉にロイはふ、と息を漏らして嬉しそうに笑みを浮かべた。望まれるままにエドワードの背中に手を回せば応えるように首にしがみ付いて来る両手を感じる。

「小さい子どもみたいだな」
「うっせ」

 照れながらもくすくすと笑う、しあわせの呼気が耳元を掠める。


 そしてそれと共にロイの視界は暗転した。





 (・・・・・暗転?)
 史上この上ない不機嫌なしかめっ面を隠そうともせず、ロイは腹筋に力を込めて身を包むシーツごと起き上がった。横を見ると先程と同じ、いや、少しばかり間抜けを足したエドワードの寝顔。

「・・・そうそう上手くは行かないものだな」

吐き出された溜息が、予定より半周回った時計の針を見て上がる悲鳴の為にまた肺へ戻るまで、あと二秒。



前サイトより。





【Re:Text】
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